婚活

このブログ名、何?

卓球部の頃の話

ワンドラです。

ふと、中学の頃のことを思い出したので自分語りします。

 

中学生の頃は卓球部に入っていた。

その頃には正直もうオタクに片足突っ込んでる、どころか両足の膝まで入りかかってるような奴だったが、小学校の頃からの友達が入るからと入部した。

 

今でこそ卓球部はオタクがなんとなく入るような部活だというイメージ?があるが、自分の中学校の卓球部はそんなことはなく、マジの卓球部だった。

実力は区で1位、都大会には出場して当たり前、練習には半プロみたいなコーチが来てくれるし、顧問も毎日教えてくれる。

そもそも先輩達も見た目は陽キャなのに卓球には本当に真剣な人しかいなかった。

 

そんな中入った卓球部だったが、幸いなことにコツを掴むのは上手かったようで、当時入部した1年は10人程いたが、その中でも期待されるような新入生だったのか、先輩にも熱心に教えられ、新人戦でもそれなりに結果を残すことが出来た。

ただ、本質的にはその時点で俺という人間が出来上がってたのか、だんだんと練習が面倒になり、サボるようになった。

別にそれはそれで自分の問題だしって思っていたが、可愛がってくれていた先輩にも一言注意を受けるようになった。

勿論、先輩達には恩はあるし、やるからには勿論強くなりたい、試合で勝ちたいという気持ちもあったが、それ以上に俺は自由な時間が欲しかった。

 

卓球部の練習は水曜日以外は基本的に毎日あったし、土日は練習だけでなく、他校との練習試合も頻繁にあった。

俺も平日は毎日参加していたが、休日は流石に遊びたかったので練習は休みがちになった。

そんなルーティンで1年を過ごし、2年になった。

幸い、3年の先輩は2人しかおらず、受験勉強優先の為、練習にもほぼ来ないような感じだったので、部活自体は2年がほとんど仕切るようになった。

この頃になると同級生達との実力も少しずつ開き始め、1年の時はAチーム(一軍)だったが、2年からはBチーム(二軍)に回されるようになった。

本当に卓球に真剣なら悔しいことだと思うが、俺はそれでも良かった。

Aチームは大会で結果を出すことを求められ、個人戦でも団体戦でも自分には責任が大きすぎた。

Bチームは2年と1年で構成されているが、顧問はAチームを監督している為、Bチームを見に来ることは無く、団体戦の出場メンバーもジャンケンで決めるような感じだった。

ただ、Bチームとは言え、そもそも他の中学との自力の差がある為、予選は適当にやって勝ち抜き、以降は適当にやって負けるみたいな、顧問にはまあ頑張ったねって言われるくらいの強さはあった為、結果を出せずに怒られるようなことはなかった。

 

そうして3年になり、最後の大会の日、家を出る前に、俺は母親にこんなことを言われた。

「結局、3年間であんたが結果を残したところ、見れなかったね。一度くらいは見たかったなあ」と。

卓球の道具と言うのは結構金が掛かる、プレースタイルによってラケットも違うし、ラバーだって何度も交換しないといけない。

サボりがちな俺ではあったが、3年間の中で何度か親に頼んで新しいラケットやラバーを買ってもらっていた。

また、部活で問題行動も起こしたこともあり、正直かなり迷惑を掛けていた。

母親は正直部活にはそんなに興味が無いように見えたが、3年間の中で一度も入賞せず、目に見えるような結果も出さないでヘラヘラしてるような俺を見て思うところがあったのだと思った。

そんなことを言われた俺は冗談交じりに「じゃあ、最後に入賞でもしてくるわw」って返して家を出た。

冗談ではあったが、内心ではそう思わせてしまった母親に申し訳ないなって気持ちがあった。

そんなこともあった最後の個人戦、特に苦戦することもなく、ベスト16まで勝ち上がれた。

3年にとっては最後の大会ってこともあり、負けた悔しさで泣いてた対戦相手も何人かいた。

正直、真剣に練習にしてこなかった俺なんか勝ち上がらないほうが良いのでは、と何度も思っていたが、そんなことは関係無い。

俺だって母親の為に何としても結果を残したかった。

入賞はベスト8からなので、あと1回勝てば入賞出来る、賞状が貰えるのだ。

それと同時に、ベスト8に入賞すると都大会に出場出来る、つまり引退せずに、夏休みも面倒臭い練習をすることになることに気づいてしまった。

今思うと、何をしょーもないことを悩んでたんだって思うが、その事に気づいた瞬間、じゃあわざと負けようかなって気持ちに本当になった。

幸い、ベスト8決めの相手は格下であり、勝つだけなら余裕で勝てるような相手だった。

言い方は悪いが、勝ち負けの選択は俺が出来たのだが、母親の為に結局は勝つことにした。

そんなわけで俺は3年間で初めて目に見える結果を残せたのだが、表彰されている時に都大会の練習が面倒臭いからわざと負けようかなんて考える、こんな俺が入賞してしまうのは申し訳ないとも思っていたが、母親を喜ばせられる嬉しさに比べれば、もうそんなことどうでも良かった。

 

俺のことをほぼ見放していた顧問もなんだかんだ、最後の最後で頑張ったと褒めてくれた。

家に帰り、母親に入賞したことを報告し、賞状を見せたところ、本当に喜んでいた。

よほど嬉しかったのか、額縁を買ってその中に賞状を入れてくれたし、そんな喜んでる母親を見て、俺も嬉しかった。

 

ただ、今でもあの日、俺に負けた相手が泣いてるところを思い出す時がある。

最後の大会だったし、結果も残したかったのだろうと、本当に悔しかったのだろうと。

俺が入賞してしまったのは間違っていたのだろうかと。

ここまで何度も書いてきたが、自分で思い出しても、恐らく他人から見ても俺は3年間を卓球部として頑張ってきたとは思えなかった。

ベスト8に入賞出来たのだって、ハッキリ言ってしまえば、相手が弱かっただけで、これまでの大会の結果から見れば、ベスト16に入れたことだった凄いと思う。

ただ、俺は母親に喜んで欲しかったから勝ちにいっただけであり、それはそれで良かったと思う。

でも、部屋に飾ってある額縁に入った賞状を見るたびにその時のことを思い出してしまう。